2012年02月17日

他人を理想化してはいけない

他人の長所は認め、欠点には目をつぶる。これはよい心がけだ。
ただしそれは、他人を盲信し、神格化するということではない。
欠点のない人はいない。それを当たり前のこととして、他人の欠点を認識した上で、受け入れるということである。

他人を理想化してはいけない。
人を愛し、尊敬し、目標とするのはかまわないが、欠点のない完璧な人間だと思い込んではいけない。やはり人は神でも仏でもないのだから。

理想化とは、他人を自分の都合のよい存在として枠に押し込めようとすることである。
理想化は、必ず裏切られる。
他人はけっして自分の思い通りにはならないからである。
他人を勝手に理想化し、裏切られただの幻滅しただのと騒ぐのは、相手にとってはいい迷惑である。

思い通りにならなかったからといって他人を批判している自分は、果たして「理想的」な人間だといえるのか。
「理想化」は、自分についてだけ行えばよい。
理想を他人に押しつけてはいけない。自分で描いた理想像に近づけるよう、自分が努力すればよいのである。

(文・たかたまさひろ)
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2012年02月11日

欲望の着地点

愛情を求めてやまない人は、愛に飢えていることが問題なのではない。
どれだけ求めても満足できないことが問題なのである。
「これぐらいなら、まあ満足」という自分なりの着地点を定めていないから、ざるに水を注ぐように際限なく求めてしまうのである。

恋人も友人もお金も出世も、何かを求めるときは、しっかり水をためられる容器を自分の心に思い描かなくてはならない。
容器が水で満杯になったら、それで一応は満足する。水が少なくなったら、不足分だけを注ぎ足す。そう考えればいい。

心の容器の大きさを決めていなければ、いつまでたっても満たされるはずがない。
幸せを感じられないのは、ざるに水を注いでいるからである。

(文・たかたまさひろ)
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2012年02月06日

愛情のとらえ方の違い

他人に対する気遣いには、大きく分けて旅館型とホテル型の二通りがある。
旅館では、「お食事はお風呂の後になさいますか」「お布団をお敷きしましょうか」などといろいろ声をかけてくれる。
いっぽうホテルでは、こちらから声をかけないかぎりほうっておいてくれるが、何か頼みごとをしたときには、丁寧に応対してくれる。

旅館のように世話を焼いてくれるほうが居心地がいいという人もいるが、逆にわずらわしいという人もいる。
ホテルのようによけいな干渉をされないほうがくつろげるという人もいるが、逆に物足りなくて寂しいという人もいる。
旅館もホテルも、客をもてなす心は同じだが、その表し方が違うだけである。

家族や恋人に対して、「私は愛されていない」と感じるのは、愛情の表現の仕方の違いによるものが多いようだ。
一日に何度もメールや電話で連絡を取り合うのが好きな人もいれば、それを「行動を監視されているようで嫌だ」という人もいる。
すべてを包み隠さず打ち明け、話し合いたいという人もいれば、どんなに親しい間柄でも踏み込んではいけない領域があると考えている人もいる。
交わす言葉の多さが愛情の証しか、それとも、何も言わなくても信じ合えるのが愛情の深さか。
どちらが正しいわけではなく、単に好みの問題だ。

「愛されていない」わけではなく、自分は旅館型の愛情を求め、相手はホテル型の愛情を示しているにすぎないのかもしれない。
自分が「愛されていない」と感じるのは仕方がないにしても、だからといって相手を冷たい人だと決めつけて非難してはいけない。
自分が勝手に定めた「愛の定義」に他人を当てはめて評価してはいけないのだ。

愛情をどう表現するかは、人それぞれだ。相手には相手の表現の仕方がある。
愛される人とは、他人の愛情をうまくくみ取れる人のことをいうのだろう。

(文・たかたまさひろ)
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