2012年03月07日

まず自分の土台固めを

飛行中の航空機内で、何らかの異常により酸素が薄くなったときには、酸素マスクが自動的に降りてくる。
航空会社では、客が幼い子供を連れている場合、まず親が自分の酸素マスクを着用し、次に子供にも着用させるよう案内している。子供が先ではなく、親が先である。
ふつうの親心として、子供の安全を優先させたいと思うところだが、親が意識を失ってしまっては、幼い子供は自分で自分を守ることができない。子供が意識を失っても、親がしっかりしていれば、助けてやることができる。
子供を守るためにも、まず親自身の安全を確保するのが緊急時の鉄則なのだそうである。

いつも他人に気を使い、気を回しすぎて、へとへとに参ってしまっている人がいる。
「人の役に立ちたい」「困っている人を助けてあげたい」という思いは立派だが、自分に余裕がないのに、自分以上に他人を優先させる必要はない。
他人を助けるためには、まず自分の土台を安定させなければならない。
精神的、経済的、体力的に厳しい状態にあるときには、自分のことを第一に考えてもよいのである。

自分を優先させることは、けっしてわがままではない。
自分を大事にできない人が、他人を大事にできるわけがない。
無理に自分を犠牲にしてまで他人の役に立とうとするよりも、自分の安定を確保してから、余裕があれば他人を助けるようにしたほうが、より長く、より多くの人助けができるのである。
他人のためにも、まず自分を守ることを優先させてもよいのである。

(文・たかたまさひろ)
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2012年03月03日

見る目がないから

草書や抽象絵画などの書画は、初心者にはわけが分からず、どれも下手くそな落書きに見える。
高尚な文学も、意味を理解できない人にとっては、退屈なものでしかない。
価値のある骨董品も、素人にかかれば、ただのガラクタである。

しかし、ちゃんとした鑑識眼のある人には、よいもの、悪いものの見分けがついているのである。
よいものを見る目をもつには、自分がそのレベルまで達していなければならない。

人を見る目も同じだ。
他人の嫌なところばかりが目につくのは、自分のレベルが低いからである。

(文・たかたまさひろ)
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2012年02月23日

「なぜ」は禁句

「なぜ言ってくれなかったの」
「どうしてそんなことするの」

なぜ、なぜ、なぜ。人と話をするとき、つい投げかけてしまいがちな言葉である。
だが、「なぜ」はいわば批判の枕詞である。できるだけ使わないほうがよい。

「なぜそんな言い方をするの」と言えば、相手からも言い返され、言い争いになることが多い。
簡潔に「そんな言い方をしないでほしい」とだけ言えばいいのである。
「なぜ私だけ誘ってくれなかったの」ではなく、「私も行きたかったな。次はぜひ誘ってね」。
「なぜ私の気持ちを分かってくれないの」ではなく、「私はこのように思っています」。
相手を責めるのではなく、自分がどうしたいのかを示せば十分である。

親が子供を「なぜ部屋の片付けをしないの」と叱る。
だが、子供は「なぜ」ときかれても答えようがない。ただ「面倒くさいから」という程度の理由でしかないのだが、それを言えばよけいに叱られるのは分かっているから、いきおい「うるせえな、出てってくれよ」と反抗するか、ふてくされて黙り込むしかない。

「なぜ」という質問の意図は、具体的な理由を知りたいわけではなく、つきつめれば、「なぜあなたは私の思い通りにならないのか」ということである。
他人を意のままに操ることは不可能だから、その問いの答えはけっして見つからない。
「なぜ」の質問責めは、相手をうんざりさせ、人間関係をよけいにこじらせるだけだ。
他人に何かをしてほしいと望むなら、「なぜそうしないのか」と相手に尋ねるのではなく、自分から「なぜそうしてほしいのか」を説明すべきである。

「なぜ」をやめれば、自分の気持ちがよく分かる。
自分の気持ちと向き合えれば、他人の気持ちも理解できるようになる。
「なぜ」を禁句にしよう。

(文・たかたまさひろ)
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