2012年03月23日

人生はゲームだ

「人生ゲーム」というロングセラーのボード・ゲームがあるが、そう、まさに人生そのものがゲームのようなものだ。
出世競争から落ちこぼれても、「出世ゲーム」に破れただけ。
失恋しても、ひとつの「恋愛ゲーム」が終了しただけ。
家族に恵まれなかったら、「家族ゲーム」で配られたカードがよくなかったというだけ。
他人から傷つけられたのは、「人間関係ゲーム」で相手が反則をしたから。
すべては、たかがゲームだ。

こんなことを言うと、生真面目な努力家からは「人生を甘く見るな」と叱られるかもしれない。
だが、「人生はゲームだ」というのは、けっして何ごともいい加減に遊び半分でやればよいという意味ではない。

ゲームは真剣にやらなければおもしろくない。真剣勝負のゲームである。
真剣だが、しょせんゲームである。
勝った人は得をした。それだけのこと。ゲームに負けたからといって、命までとられるわけではない。人生が終わったわけでもない。ましてや、自分の価値を否定する必要などさらさらない。

カード・ゲームに負けた人は、テクニックが未熟だったか、運がなかったから負けたのである。人間として劣っていたわけではない。
同じように、人生ゲームの勝ち負けも、人間の価値とはまったく関係がない。
たかがゲームじゃないか。本気で精一杯遊んで、勝った負けたと笑い合えば、それでいい。

人生はゲームだ。それはけっして、人生を軽んじているわけではなく、逆に、せっかく与えられた一度きりの人生を有意義に、積極的に楽しもうという前向きな考え方である。

(文・たかたまさひろ)
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2012年03月17日

余裕のあるほうが譲ればいい

混んでいる場所を急いで走っている人がいたら、道を譲ってやればいい。
その人は、何かせっぱつまった用があって、焦っているのだ。
余裕のある人が、余裕のない人に譲ってやればいい。

いつもいら立っている人。
人の悪口ばかり言っている人。
すぐに人に食ってかかる人。
彼らは、心に余裕がなく、つねに追いつめられているのだ。
急いでいる人に道を譲るように、心に余裕をもってやり過ごせばいい。
彼らとまともに取り合い、「どちらが余裕がないか」を競い合って何になるだろう。
余裕のあるほうが恵まれているのだから、余裕のないかわいそうな人たちをおおらかな目で見てやろう。

(文・たかたまさひろ)
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2012年03月12日

だが、不幸ではない

泣きたいときもある。
だが、不幸ではない。

腹の立つこともある。
だが、不幸ではない。

不安に襲われることもある。
だが、不幸ではない。

思いどおりにはいかないこともある。
だが、不幸ではない。

苦難や障害は、人生をドラマチックに彩る飾りつけだ。
現実が幸か不幸かを決めるのではない。
「私は不幸だ」と自分で決めたとき、不幸となるんだ。

(文・たかたまさひろ)
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