2012年06月04日

不幸の中に幸せがある

人は誰も、悲しいこと、苦しいことから逃れたいと思っている。
では、悲しみや苦しみをいっさい取りのぞけば幸せになれるのかというと、そんなことはない。
何もつらいことがなければ、いたずらに退屈な時間がすぎていくだけのむなしい人生である。
ほしいものがすべて与えられ、何でも思い通りにいくことが幸せではない。

幸せと不幸は、相対的で、たがいに補い合うものである。
苦しくて、悲しくて、どん底にまで落ち込んだとき、ふと一筋の光に希望を見いだすことが、本当の幸せである。
幸せを見つけることは、大量の泥の中から砂金を探し当てるように困難なことかもしれない。
だからこそ、それはまぶしく光り輝くのである。

不幸の中に幸せがある。
不幸があるから、幸せを感じられるのだ。

(文・たかたまさひろ)
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2012年05月28日

自分を許す

他人に対する怒りや恨みをいつまでも引きずるのは、とりもなおさず、「相手との関係を断ち切れない」ということである。
憎い憎いと言いながら、自らすすんでそんな相手とのつながりをたもち続けているのである。

なぜ怒りを忘れられないのか。他人を批判しているかぎり、自分と向き合うことから逃れられるからである。
「私が毎日イライラして、自分を好きになれないのは、あいつのせいだ」と、不幸の原因を何もかも他人のせいにできるからである。

人を許すことは難しい。
人を許せば、自分を傷つけた相手の行為を認め、自分がすごすごと引き下がったことになってしまう。それでは気持ちがおさまらない。
だが、恨み続けることは、他人に傷つけられたこと以上に、自分で自分を傷つけることになるのだ。

他人を許すのではなく、自分を許そう。
他人と勝負するのではなく、自分に打ち勝とう。

他人に仕返しをしても、何の得にもならない。
しかし、他人を許し、心のとらわれから解放され、毎日を明るく楽しく過ごすことは、自分にとって大きな利益である。
いい意味で「自分さえよければいい」と開き直ろう。
「他人とどう付き合うか」よりも大事なことは、「自分とどう付き合うか」ということだ。
自分と向き合い、自分の幸せを第一に考えよう。

(文・たかたまさひろ)
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2012年05月18日

いつも自慢話をする人への対処

「私はどこどこの大学を出た」
「家族や親戚が大手企業に勤めている」
「有名人の友達がいる」
自慢話の好きな人は、どこの社会にもいるものである。
会うたびに自慢をされるのがわずらわしい。だが、それがどうしたという顔をすれば、嫉妬しているみたいで、これまたしゃくに障る……。
そういうやっかいな相手には、どう対処すればいいのだろうか。

自慢ばかりする人は、本当は「バカにされたくない」という不安の人一倍強い人である。他人と張り合って、つねに自分の優位を確認しておかなければ気がすまないのである。
自慢をするには、「張り合いがいのある相手」を選ばなくてはならない。自慢話に悔しがってくれる人は絶好のターゲットである。
相手が悔しそうな表情を浮かべてくれてこそ、自慢のしがいもあるというものである。

他人に自慢話をされたくなければ、「自慢のしがいのない人」になればよい。
自分と他人を比較せず、自分なりの楽しみや生きる目的を見つける。他人の長所を素直に認め、自分の値打ちも認められる。
そういう考え方に従っていれば、他人の自慢話など気にならなくなるはずである。気にしないといっても、あえて無視するのではなく、「あなたはすばらしい。でも私は私で、幸せに生きていますよ」と、余裕をもって相手を受け入れるということである。

「自慢話をされて悔しい」。そう思ったなら、自分も他人に対抗し、優位に立ちたいという願望の強い証拠である。根っこの部分では自慢好きな人と同じなのである。
くだらない競争の舞台からはさっさと降りてしまうにかぎる。
自慢話に悔しがってくれない相手には、自慢をしてもつまらない。
自分が張り合おうとしなければ、自慢好きな人は自然に離れていくだろう。

(文・たかたまさひろ)
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