分類 / 悲しみ
2011年08月27日

つらいと思うからつらい

つらいと思うからつらい。
迷惑だと思うから迷惑だ。
許せないと思うから許せない。

当たり前のことだが、当たり前すぎるゆえに、ふだん取り立てて問い直してみることもない。
いったいどれほどつらいのか。本当に困ることなのか。絶対に我慢ならないのか。
「こういうことがあってはならない」という思い込みで、条件反射的に決めつけていないか。

よくよく考えてみて、「やっぱり、つらいものはつらい」という結論に達したなら、それでもかまわない。一度考え直してみるだけの価値はあるだろう。

(文・たかたまさひろ)
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2011年08月24日

他人がしてくれないこと

「上司が私を評価してくれない」
「夫(妻)にもっと気を遣ってほしい」
「親が私の生き方を認めてくれない」

「人がしてくれないこと」を数え上げて文句を言っている人は、けっして幸せにはなれない。
人におんぶをしてもらっておきながら、「歩くのが遅い」「道が違う」と不満を並べているようなものだ。

「人がしてくれないこと」は、要求水準を上げれば、いくらでも挙げられる。他人の問題ではなく、自分の問題だ。
幸福か不幸かを決めるのは、自分の責任である。
「してほしいことをしてくれない」と恨む相手がいるなら、むしろその相手に感謝してもいいくらいだ。自分の不幸を他人のせいにできるのだから。

自分の劣等感と向き合い、それを乗り越えるのは、とてもつらい作業である。
人間はそれほど強くはないから、ときには他人を悪者にし、自分の心がつぶれそうになるのを防ぐのも、ある程度はやむをえない。
ただし、それはあくまで応急手当と考えるべきだ。傷口に絆創膏を貼るようなものである。絆創膏が傷を治すのではなく、自分の免疫力が治すのだ。
幸福への道を進むためには、人におんぶしてもらうのをやめて、自分の足で歩き出す必要がある。

(文・たかたまさひろ)
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2011年08月08日

何でも起こりえる

ある高名な僧が不治の病に倒れた。
弟子たちは、「師は多くの善行を積まれてきたのに、なぜこのような目にあわなければならないのでしょう」と嘆き悲しんだ。
師は穏やかにこう答えた。
「ではお前たちは、私が悪事の報いをうけて死ねばよかったというのか」

病気や事故や災害は、いつ誰に襲いかかるか分からない。
「何も悪いことはしていないのに。なぜ私がこんな目に」と問いかけても仕方がない。
意味はない。理由もない。ましてや天罰などではない。
単なる現象として、それは起こるのだ。

意味があるとすれば、それは自分がつくり出すものだ。
「何の因果で」と過去にさかのぼるよりも、「そこから何を学ぶか」と行く先に目を向けたほうがよい。
「当たり前だと思っていたことが当たり前ではなかった」と、そのありがたみに気づくことは幸いだ。
どんな境遇にあろうとも、私たちにできることは、つねに「与えられた身の上で、最大限に生きる」ということだけだ。

そもそも、この世に生を受けたことが、何億何兆分の一、いやもっとはるかに希少な幸運の巡り合わせである。
豊かで自由な時代に人間として生まれた奇跡に較べれば、その後に起こるどんな厄難も、十分にありえることだ。

どんなことでも、起こりえる。
日ごろからその覚悟をもって、一日一日を大事に生きなければならない。
万一のことが起こったなら、「さあ、これまでの自分の生き方が問われるときだ」と、鉢巻きをしめ直してかかろう。
起こってからでも遅くはない。自分の生き方を変えるのに遅すぎるということはないのだ。

(文・たかたまさひろ)
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