分類 / 悲しみ
2011年10月09日

素直に人から学ぶ

ある調査によると、7割以上の人が「自分の能力は平均以上である」と思っているそうだ。
ほとんどの人は、「自分は正当に評価されていない」「本当はやればできる」「能力を発揮する機会がないだけだ」と自分を過大評価し、都合の悪いことはごまかして、かろうじて精神の健康をたもっている。

自分に自信をなくし、うつ状態になってしまう人は、ある意味で正直すぎるのだ。冷静に客観的に、「正しく」自分の能力を評価するから、落ち込んでしまう。自分に嘘をついたり、責任を転嫁したりすることができない。
だがしかし、それは考えようによっては、自分をごまかしている人よりも一歩進んでいるともいえる。高いところを綱渡りするのではなく、しっかり地面を踏みしめて歩いている。
人間の成長は、自分を正しく理解することから始まるのだ。

「私には能力が足りない」と嘆いている人は、少なくとも「自分の能力を正しく評価できる」という能力がある。これは身の程知らずのうぬぼれ屋にはない、すばらしい能力だ。
問題は、その先である。
「だから、悔しい」「私には価値がない」と思ってしまうのがいけないのだ。

能力の低い人間は、生きる価値がないのだろうか。
だとしたら、もし自分が高い能力を手に入れたら、今度は自分よりも能力の低い人を同じように「生きる価値がない」と見くだすのだろうか。
その傲慢さが自分を苦しめているのだ。
劣等感は傲慢と表裏一体である。

自分の能力が低いと思うなら、素直に人に学べばよいのである。
ちっぽけな虚栄心や競争意識を捨て、他人に敬意を示し、教えをこえばよい。
相手も喜ぶし、自分も成長できるのだから、いいことずくめだ。
たとえ能力が低くても、謙虚に他人から学ぼうとしている人をバカにする人は(よほどの性悪でないかぎり)いない。

知能や身体的能力は生まれもってほぼ決まっているが、謙虚さや誠実さは、誰でもいくらでも高めることができる。
人間の価値は、人よりも速く走ったり、うまくお金を稼いだり、話術で人を引きつけたりできる能力で決まるのではない。
謙虚に、誠実に。これだけを心がけておけばよいのだ。

能力によって人間に序列をつけ、勝つか負けるかの戦いの渦でもがき苦しむよりも、「他人は皆、師匠」だとみなして、学べるところは何でも学んでやろうという態度で臨めば、何も怖れるものはない。

(文・たかたまさひろ)
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2011年09月23日

これでよかった

もし道に落ちていたガムを踏んでしまったら、「ああ、なんてついてないんだろう」と落ち込むよりも、「犬のフンだったら、臭いが染みついて困っただろうな」と思うほうがいい。
犬のフンを踏んでしまったら、「五寸釘だったら、大ケガをしていたところだ」と思えばいい。

車の渋滞に巻き込まれたら、時計を気にしてイライラするよりも、「スピードを出していたら、トラックと衝突していたかもしれない」と思うほうがいい。
事故にあってケガをしたなら、「死ななくてよかった」と思えばいい。

不運に遭遇したとき、いくらそれを嘆いても、事態が改善されるわけではない。
ならば、「もっと悪いことが起こっていたら」と想像をふくらませて、「この程度ですんでよかった」と思うほうが精神の健康によい。

もちろん、現実は一つであり、「もしも」の世界は存在しない。
存在しないからこそ、勝手に自分の都合のいいように解釈してしまえばいいのだ。
一つのゲームだと思って楽しめばいい。

(文・たかたまさひろ)
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2011年09月17日

要求する人は裏切られる

友人が仕事で困っていたので、役に立てる人を紹介したとする。
その友人は、おかげで見事成功をおさめた。
当然、礼の一言ぐらいあるものだと思っていたら、その後まったく音沙汰なし。
裏切られたような気になる。

恋人が、「あなただけを一生愛し続けます」と言ってくれたとする。
しかし数年後、手の裏を返して「ほかに好きな人ができたから別れてほしい」と言われる。
一生愛すると言ったくせに嘘だったのか、と裏切られたような気になる。

しかし、そもそも「助けてやったのだから感謝しろ」「一生愛すると言った約束を守れ」と相手に求める気持ちがなければ、裏切られることもなかったのだ。
もちろん相手の態度は不誠実で、責められるべきものだが、それはあくまで相手の問題だ。そういう不誠実な人は、いつか手痛いしっぺ返しを食うだろう。
ただ単に「気の毒な人」と思えばよいのである。

「裏切られた」というのは、「自分が望んでいたとおりの利得をえられなかった」ということだ。
自分の主観、自分の都合、自分の欲求にもとづいて注文をつけていただけである。

裏切られることの多い人は、要求の多い人である。
「私に利益をもたらしなさい」と他人に強要する権利は誰にもない。
「人助けになったのだから、それでいい」「いままで愛してくれただけでも、もったいないくらいだ」という謙虚さがあれば、他人の不誠実な態度に対して、「悲しい」「寂しい」と思うことはあっても、「裏切られた」という屈辱は感じずにすんだのだ。

裏切られることの多い人は、要求の多い人である。
他人に何かをしてもらうことを当たり前だと思わなければ、けっして裏切られることはない。

(文・たかたまさひろ)
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