分類 / 悲しみ
2012年01月29日

自分はたいした人間ではない

「どうせ自分は誰からも必要とされていない。自分は何の価値もない人間だ」と絶望してしまう人は、自分に自信がないというよりも、むしろ自信過剰の傾向が強すぎるといえる。
「自分はたいして人さまの役には立っていない」と慎ましくへりくだるのは、悪いことではない。
間違っているのは、「だから、自分には価値がない」と短絡に結論づけてしまうことだ。

人は誰も、そんなに偉くはない。
「私は世のため人のために貢献してきた、立派な人間だ」とうぬぼれている人は、はたから見れば痛々しいほどに滑稽なだけだ。
もちろん、人に必要とされる人間になりたいという目標をもつのはよいことである。
と同時に、「自分はたいした人間ではない」と冷静に省みることも大切だ。

高い理想に向かって努力しながらも、まだまだ自分は理想に到達していないという謙虚さをもって生きていけばいいのである。
「私は他人から感謝され、敬われるべき人間だ」という思い上がった考えがそもそも間違っているのだ。
自分は人の役に立っていない。いいじゃないか。自分は人から尊敬されていない。いいじゃないか。胸の底に潜んでいる高慢さを抑えるために、あえてそう自分に言い聞かせるぐらいでちょうどよいのだ。

何に向かって努力しているかということが、その人の人格を決める重要な要素となる。
どういう理想をかかげ、それを実現するためにどう行動しているかということに意味があるのだ。
理想を実現できなくてもいい。いや、実現できたなどと思い上がらないほうがいい。
目標に向かって走り続けている姿こそがすばらしいのである。そんな自分に誇りをもてばいい。

(文・たかたまさひろ)
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2011年12月21日

他人に失望したら

他人に失望したなら、自分が成長するためのいい機会だと思い直そう。

期待するから失望する。
付き合いが長くなると、どうしても「友達なのだから」「夫婦なのだから」「親子なのだから」と甘えが生じてしまうものだ。
他人が自分の思い通りになることを期待してしまう。

だが、他人と自分とは違う人間である。
考え方も違うし、好みも性格も生きる目的も違う。
思い通りにならないのが当たり前なのである。

他人は、自分の機嫌をとってくれるために生きているのではない。
世の中は、自分に都合よくお膳立てされているものではない。
「期待」という口説き文句で他人を利用するのはやめよう。
「期待」とは、つまり「要求」である。
他人にあれこれ要求ばかりする人に、誰がよろこんで何かをしてあげようと思うだろうか。

他人に失望することは、甘えやわがままと訣別するための第一歩なのだ。
自分の足で歩き出そう。自分で道を切り開こう。
そして、もし他人が自分のために何かをしてくれたら、そのときは心からの感謝を示そう。

(文・たかたまさひろ)
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2011年12月08日

昨日とどう変わったか

毎晩、寝る前に、「昨日と今日で、自分はどう変わったか」を考えてみよう。
どんな小さなことでもいい。

「嫌いだった人の長所をひとつ発見して、見直した」
「本を読んで新しい知識をえた」
「人に親切にしたら、とても感謝されてうれしかった」
「会議で自分の意見をうまく述べられた」
「密かに想いを寄せていた人に、一言だけ話しかけた」

一日で人間はそう変われるものではないから、もちろんほんのささいなことでいい。
24時間を過ごせば、何かひとつは変わったこと、進歩したことがあるはずだ。
それを積み重ねていけば、一年間で365の進歩がある。

日々、少しずつ「変わっていく自分」を意識してみよう。
そして、「明日は何が起こるかな」と、わくわくしながら眠りにつこう。
自分の人生もなかなか悪くないな、と思えるようになるはずだ。

(文・たかたまさひろ)
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