分類 / 悲しみ
2012年03月03日

見る目がないから

草書や抽象絵画などの書画は、初心者にはわけが分からず、どれも下手くそな落書きに見える。
高尚な文学も、意味を理解できない人にとっては、退屈なものでしかない。
価値のある骨董品も、素人にかかれば、ただのガラクタである。

しかし、ちゃんとした鑑識眼のある人には、よいもの、悪いものの見分けがついているのである。
よいものを見る目をもつには、自分がそのレベルまで達していなければならない。

人を見る目も同じだ。
他人の嫌なところばかりが目につくのは、自分のレベルが低いからである。

(文・たかたまさひろ)
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2012年02月17日

他人を理想化してはいけない

他人の長所は認め、欠点には目をつぶる。これはよい心がけだ。
ただしそれは、他人を盲信し、神格化するということではない。
欠点のない人はいない。それを当たり前のこととして、他人の欠点を認識した上で、受け入れるということである。

他人を理想化してはいけない。
人を愛し、尊敬し、目標とするのはかまわないが、欠点のない完璧な人間だと思い込んではいけない。やはり人は神でも仏でもないのだから。

理想化とは、他人を自分の都合のよい存在として枠に押し込めようとすることである。
理想化は、必ず裏切られる。
他人はけっして自分の思い通りにはならないからである。
他人を勝手に理想化し、裏切られただの幻滅しただのと騒ぐのは、相手にとってはいい迷惑である。

思い通りにならなかったからといって他人を批判している自分は、果たして「理想的」な人間だといえるのか。
「理想化」は、自分についてだけ行えばよい。
理想を他人に押しつけてはいけない。自分で描いた理想像に近づけるよう、自分が努力すればよいのである。

(文・たかたまさひろ)
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2012年02月11日

欲望の着地点

愛情を求めてやまない人は、愛に飢えていることが問題なのではない。
どれだけ求めても満足できないことが問題なのである。
「これぐらいなら、まあ満足」という自分なりの着地点を定めていないから、ざるに水を注ぐように際限なく求めてしまうのである。

恋人も友人もお金も出世も、何かを求めるときは、しっかり水をためられる容器を自分の心に思い描かなくてはならない。
容器が水で満杯になったら、それで一応は満足する。水が少なくなったら、不足分だけを注ぎ足す。そう考えればいい。

心の容器の大きさを決めていなければ、いつまでたっても満たされるはずがない。
幸せを感じられないのは、ざるに水を注いでいるからである。

(文・たかたまさひろ)
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