分類 / 悲しみ
2012年04月05日

いま、この世界がつくられた

今からほんの数秒前、全宇宙が、何か偉大なる力によってつくり上げられた。私が生まれてからの記憶も、その一瞬のうちに植えつけられたものである。この世界は、たった今、誕生したばかりなのだ。
―― そんなことは99.999999……%ありえないだろうが、可能性がまったくないことを論理的に証明することはできない。ひょっとしたら、そうかもしれないのである。

現実は私と関係なく存在するが、私にとっての現実は、私の意識がつくりあげるものにすぎない。
苦しかった経験も、傷ついた記憶も、失敗して恥をかいたことも、すべては幻である。そう考えることだってできる。
過ぎ去った現実が、現在の私を身体的に苦しめるわけでも、物理的な障害となるわけでもない。私の頭の中だけの問題である。

どんなにつらい人生を送ってきたとしても、これまでの記憶は、ただの幻にすぎない。いまこの瞬間に、世界は誕生し、私はまっさらな状態で産み落とされたのだ。
そう考えても、何の不都合もない。それが私にとっては紛れもない真実である。
これから私の人生が始まる。過去のいっさいのとらわれから逃れて、未来を自由に創造することができる。
何だかワクワクしてきたぞ。

(文・たかたまさひろ)
このページの上へ
2012年03月23日

人生はゲームだ

「人生ゲーム」というロングセラーのボード・ゲームがあるが、そう、まさに人生そのものがゲームのようなものだ。
出世競争から落ちこぼれても、「出世ゲーム」に破れただけ。
失恋しても、ひとつの「恋愛ゲーム」が終了しただけ。
家族に恵まれなかったら、「家族ゲーム」で配られたカードがよくなかったというだけ。
他人から傷つけられたのは、「人間関係ゲーム」で相手が反則をしたから。
すべては、たかがゲームだ。

こんなことを言うと、生真面目な努力家からは「人生を甘く見るな」と叱られるかもしれない。
だが、「人生はゲームだ」というのは、けっして何ごともいい加減に遊び半分でやればよいという意味ではない。

ゲームは真剣にやらなければおもしろくない。真剣勝負のゲームである。
真剣だが、しょせんゲームである。
勝った人は得をした。それだけのこと。ゲームに負けたからといって、命までとられるわけではない。人生が終わったわけでもない。ましてや、自分の価値を否定する必要などさらさらない。

カード・ゲームに負けた人は、テクニックが未熟だったか、運がなかったから負けたのである。人間として劣っていたわけではない。
同じように、人生ゲームの勝ち負けも、人間の価値とはまったく関係がない。
たかがゲームじゃないか。本気で精一杯遊んで、勝った負けたと笑い合えば、それでいい。

人生はゲームだ。それはけっして、人生を軽んじているわけではなく、逆に、せっかく与えられた一度きりの人生を有意義に、積極的に楽しもうという前向きな考え方である。

(文・たかたまさひろ)
このページの上へ
2012年03月12日

だが、不幸ではない

泣きたいときもある。
だが、不幸ではない。

腹の立つこともある。
だが、不幸ではない。

不安に襲われることもある。
だが、不幸ではない。

思いどおりにはいかないこともある。
だが、不幸ではない。

苦難や障害は、人生をドラマチックに彩る飾りつけだ。
現実が幸か不幸かを決めるのではない。
「私は不幸だ」と自分で決めたとき、不幸となるんだ。

(文・たかたまさひろ)
このページの上へ