分類 / 悲しみ
2012年06月16日

努力は必ず報われる

「こんなに努力しているのに、誰も評価してくれない」と嘆いている人は、まだまだ努力が足りないか、努力の方向が間違っているのである。
他人に認めてもらわなければ報われない努力は、ほんとうの努力ではない。

自分の努力は、自分が一番よく分かっている。
他人が自分以上に評価してくれることは、まずありえないと思ったほうがよい。
自分が自分を認めてやれば、それでよいのである。

努力は、自分を高めるために、自分の人生を充実させるために行うものである。
自分のためにやっておきながら、他人からの評価をも求めるのは、ちょっと欲張りすぎだ。
成長していく自分によろこびを感じること、それが努力の最大の報酬である。
他人には見えなくても、自分だけは分かっている。自分だけの密かな楽しみに浸ればよい。

努力が報われるかどうかは、結果によってではなく、目的や動機によってすでに決まっているのである。
ほんとうの努力は、必ず報われる。

(文・たかたまさひろ)
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2012年06月04日

不幸の中に幸せがある

人は誰も、悲しいこと、苦しいことから逃れたいと思っている。
では、悲しみや苦しみをいっさい取りのぞけば幸せになれるのかというと、そんなことはない。
何もつらいことがなければ、いたずらに退屈な時間がすぎていくだけのむなしい人生である。
ほしいものがすべて与えられ、何でも思い通りにいくことが幸せではない。

幸せと不幸は、相対的で、たがいに補い合うものである。
苦しくて、悲しくて、どん底にまで落ち込んだとき、ふと一筋の光に希望を見いだすことが、本当の幸せである。
幸せを見つけることは、大量の泥の中から砂金を探し当てるように困難なことかもしれない。
だからこそ、それはまぶしく光り輝くのである。

不幸の中に幸せがある。
不幸があるから、幸せを感じられるのだ。

(文・たかたまさひろ)
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2012年05月10日

傷つけられても

平気で無神経なことを言う人。
自己の利益のために他人を利用する人。
他人を見くだすような態度をとる人。

どこにでも、憎たらしい人というのはいるものである。
そういう人に傷つけられたからといって、「仕返しをして、思い知らせてやりたい」などとは考えないほうがよい。

他人に嫌われる性格の人は、「嫌われている」ということ自体が大きな不幸である。
他人の痛みが分からない人は、「他人の痛みが分からない」ということ自体が大きな不幸である。

「自分を傷つけた相手に思い知らせてやらなければ気がすまない」と考えるのは、「相手のほうが得をしている」と思い込んでいるからである。
平気で他人を傷つける人も心が貧しいが、「傷つけたほうが得をしている」と考えるのもあまりにも浅はかだ。

相手は十分不幸なのだから、これ以上思い知らせてやる必要はない。
自分で自分の顔を殴っている人を見て、さらに殴ってやりたいとは思わないはずである。

下手に仕返しをして、逆恨みをされてはかなわない。
自分自身を苦しめている人は、その愚かさに気づくまで、ほうっておいてやればいいのだ。

(文・たかたまさひろ)
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