分類 / 不安
2011年06月12日

自分が自分の支配者

第一に、他人にどう思われるかで自分の値打ちが決まるのではない。

第二に、「他人にどう思われるかで自分の値打ちが決まる」と考えるのなら、やるべきことは、自分の意見や感情は押し殺して、召使いが主人に仕えるように他人に追従することだ。
「他人が私を認めてくれない」と文句を言ってはいけない。
自分を値踏みする権利を他人に与えておきながら、他人が決めたことにあれこれケチをつけてはならない。自分の支配者は他人であり、自分はその奴隷、召使いにすぎないのである。
奴隷が主人にたてつくことは許されない。主人の機嫌を損ねないよう、ひたすらに媚びへつらい、とりいるしかない。

奴隷のごとき人生を送るのが嫌なら、自分の幸せは自分で見つけることだ。
他人に認められることは、うれしいことには違いないが、それはただの「励み」とすべきだ。幸せのすべてを他人にゆだねてはならない。
試合に負けたスポーツ選手が、「ファンの応援が足りないから、やる気が出ない」と言ったら、どう思われるだろうか。よけいに見放されるだけである。

他人が自分の値打ちを決めるのではない。
自分の値打ちを決めるのは自分だ。自分の支配者は、ほかでもない自分自身である。

(文・たかたまさひろ)
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2011年05月26日

メールの返事がこない!

メールの返事がこなくても、気にすることはない。

面と向かって話しかけたのにあからさまに無視をされたのなら、相手は怒っているか、自分をバカにしているのだろう、ということは分かる。それを失礼な態度だと抗議するのはかまわない。
しかし、メールの返事がこない理由は、相手がまだメールを読んでいないのか、何らかの手違いや不具合でメールが届かなかったのか、忙しくて返信をする時間がないのか、返信の内容をじっくり考えているのか、はたまた返信するほどのものでもないと判断しているのか、まったく分からない。

メールでは、相手の事情は分からない。それを承知の上で送らなくてはならない。
重要な用件なら直接会って話すべきだし、急ぐのならせめて電話をかけて話すべきだ。
メール以外に連絡手段がない、相手の居場所も分からない、というのなら、しょせんその程度の浅い関係でしかないのだから、嫌われたのではないかと気に病む必要もない。

メールで心は通じない。
親しい友人や恋人、家族から優しい内容のメールをもらって心が温まるのは、ふだん実際に会って話をし、信頼し合い、尊重し合っているという前提があるからだ。
メールはコミュニケーションの補助的な手段にすぎない。
「メールがこなければ不安になるような関係」ならば、何千何万通のメールで互いの心を探り合っても、信頼や理解は深まらないのだ。

「メールなら素直に何でも話せる」という人がいるが、直接言えないことは、メールでも言うべきではない。
直接言いにくいことは、本当に重要なことである。それならなおさら、メールなどという簡便な手段ではなく、口で言うべきだ。
ケンカをした相手にメールで「ごめん」と送るのは、素直に謝ったことにはならない。
謝罪というのは、相手の目を見て、神妙な面持ちで、頭を下げてするものだ。全身全霊で謝意を表すべきものだ。
メールは、ふんぞり返ったままでも、舌を出してせせら笑いながらでも、送ることができる。そんなもので気持ちは伝わらない。
メールを送っただけで誠意を伝えたことにするのは、横着というものである。

メールは、「特に大事な用ではないけれど、暇があれば読んでください」という程度の軽い気持ちで送るものだ。
いわば、ただの暇つぶしである。
暇つぶしに他人がつき合ってくれないからといって腹を立ててはいけない。相手はそれほど暇ではないのかもしれないのだから。
どうしても返事がほしいのなら、直接話せばいいだけのことだ。

(文・たかたまさひろ)
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2011年04月21日

一期一会

嫌いな人とは、なるべく会いたくない。
しかし、同僚、親戚、隣近所など、どうしても顔を合わせずにはすませられない人もいる。
なるべくストレスをためずにつき合う方法を考えてみた。

嫌いな人に会わなければならないときは、そのたびごとに「最初で最後の出会い」のつもりで接すればよい。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と言われるとおり、一度人を嫌いになると、その人のやることなすこと何もかもが憎たらしく感じる。
人間、誰でも見習うべき点の一つはあるものだが、「嫌なやつ」というフィルターを通すと、せっかくの長所も見えなくなってしまう。

そこで、毎回はじめて会うつもりで、「この人は、どんな人だろう」とわくわくしながら会ってみる。
「意外にいい人だな」という新しい発見があるかもしれない。「やっぱり嫌なやつだった」となってしまう可能性もなくはないが。

腹が立ったときは、「この人がもし明日死ぬとしたら」と仮定してみよう。
どんなに嫌いな相手でも、「死ぬと分かっていたら、もっと優しくしてあげればよかった」と後になって思うことだろう。たいていの嫌なことは忘れられるものだ。

これは、嫌いな人にかぎらず、すべての人との付き合いにおいて心がけておくとよい。
一期一会。二度とやってこない、この貴重な巡り合わせを大切にしたい。
誰に対しても、一度きりの出会いのつもりで接すれば、心に灯がともるような愛しさを感じられるだろう。

(文・たかたまさひろ)
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