分類 / 不安
2011年09月01日

幽霊が怖い理由

私は幽霊を見たことがないし、その存在を信じてもいないが、ある霊能者が語っていた言葉は、なるほどもっともだと思った。
「幽霊を怖がる人は、心にやましさがある」

幽霊は、この世に心残りがあって、何かを訴えるために現れる。
誰かに愛を伝えたいのかもしれないし、恨みを晴らしたいのかもしれない。
幽霊を怖がる人というのは、幽霊に悪さをされると思い込んでいる。つまり、多くの人の恨みをかっているから、復讐されることを恐れているのだ。

幽霊を見ても、怖がることはない。
その幽霊は、「遊んでほしい」と望んでいるのかもしれないし、「お世話になりました」と別れを告げにきてくれたのかもしれないのだから。
幽霊に悪さをされるのは、これまでさんざん悪事をはたらいてきた人だけだ。

(文・たかたまさひろ)
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2011年07月19日

温かい理解者、厳しい監督者

他人に認めてもらえることは、大きなよろこびだ。
だが、もっとすばらしいのは、他人が評価してくれなくても、自分で自分を認められることである。
自分をもっとも理解しているのは、自分以外にない。
自分が自分の一番温かい理解者であればよい。

他人から批判されれば、悔しいし、悲しい。
だが、その批判が当を得ているなら、他人に批判される前に、自分で過ちに気づいて改めるべきだったのだ。
自分が自分にとって一番厳しい監督者であるなら、他人の批判に必要以上に怯える必要はない。

他人から評価されればよろこび、批判されれば悔しがるだけでは、あまりにも自分というものがなさすぎる。
他人から認められなくても、やるべきことはやる。責められなくても、やってはいけないことはやらない。
他人がどうであれ、自分が自分の「もっとも温かい理解者」であり、「もっとも厳しい監督者」であればよいのだ。

(文・たかたまさひろ)
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2011年07月13日

誰も人の顔なんか見ていない

ある定食屋のチェーン店に入った。
愛想のいい女性の店員さんが「お待たせしました〜」と持ってきたのは、私が注文したものとはまったく別の品だった。
間違っている旨を伝えると、店員さんは「申し訳ありません」と丁寧に謝ってくれて、厨房に確認に行った。

すぐに店員さんが戻ってきて、「私の伝票の記入ミスでした。今からつくり直しますので、お時間をいただいてもよろしいですか」と訊かれたので、私は「かまいませんよ。特に急いでいませんので」と応じた。
店員さんは申し訳なさそうに深々と頭を下げた。かえってこちらが恐縮するほどだった。
しばらく待つと注文どおりの料理が運ばれてきて、そのときも店員さんは何度も謝ってくれた。

食事が終わり、私は伝票をとってレジに向かった。
混雑する時間帯をだいぶん過ぎていたので、店内に客は数えるほどしかおらず、店員さんは奥に引っ込んでいるようだった。
私が「すみません、お願いします」と呼ぶと、さっきの店員さんが出てきた。そして、私にこう尋ねた。「お持ち帰りですか」
あまりの意外な言葉に呆然としていると、あちらも小首をかしげて、もう一度「お持ち帰りですか」と訊いてきた。
「いえ、会計です」と戸惑いながら伝票を差し出すと、店員さんは「あ、すみません」とばつが悪そうにレジを打ちはじめた。

あんなに印象的なやりとりがあったのに。ほかに客は数えるほどしかいなかったのに。
店員さんは、私の顔をまったく覚えておらず、新しい客がきたと勘違いしたのだ。
ふと侘びしさにおそわれたが、「なるほど、こんなものか」と妙に納得し、安堵を覚えた一幕でもあった。
やっぱり、人は他人の顔なんかよく見ちゃいないんだ。

私のようにあがり症の小心者は、自分が他人の目にどう映っているかが気になって仕方がない。
特に初対面の人と話すときは、緊張のあまり、全身の張りつめた神経がひりひりと痛む。
自分の表情は相手に不快感を与えていないか。卑屈な愛想笑いをしていないか。言葉遣いは間違っていないか。気にすればするほど、よけいに顔はこわばり、声はうわずる。
そして別れた後も、おかしなことを言ったんじゃないか、変な奴だと思われていないか、といつまでもくよくよ気に病む。
でもそれは、ただの自意識過剰にすぎないんだ。

そう、自分が気にするほど、他人は自分の顔をよく見てもいないし、覚えてもいない。
日本ではふつう、人の顔をじろじろ見るのは失礼だとされている。むつみ合う恋人同士でもないかぎり、相手の表情の細かい変化まで注視している人はいない。

自分だって、あの時の店員さんの顔や声を覚えていない。
だのになぜ、自分だけは他人に細かく観察されていると思い込むのだろう。
それは、実は「見られたい」という欲求の裏返しなのかもしれない。気が小さいというよりは、自己顕示欲が強すぎるのだ。
誰も気にしちゃいないのに、勝手に気を張って、へとへとに疲れ切っている。まったくの空回り。まったくの独り相撲。

「誰も私のことなんか見ちゃいない」
きょうも自分にそう言いきかせ、家を出る。
そっと背中を押されるような勇気と、一抹の寂しさを胸に秘めて。

(文・たかたまさひろ)
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