分類 / 迷い
2011年09月30日

無限の可能性?

人生を選ぶにおいて、選択肢は少ないよりは多いほうがよいに決まっているが、あまりに多すぎるのは、かえって不幸といえるかもしれない。
どれを選んでも、つねに「もっとほかの道があったのではないか」という疑念がつきまとう。「これでよかった」という安心感がいつまでたってもえられないのだ。

「無限の可能性」という言葉がよく使われる。これは理屈としては嘘ではない。
ただし、条件のよいところには希望者が殺到するわけだから、そこには過酷で非情な争奪戦が待ち受けている。
みなが皆、望むとおりの成果をえられるわけではない。大多数の人は、やはり適当に妥協し、見切りをつけなければならない。
期待をあおった側に文句を言っても、「可能性はあったのに、実力がなかっただけだ」と自己責任に帰せられておしまいだ。

職業も結婚も住居も、欲をいえばきりがない。
視野を広くもつのはよいが、「無限の可能性を追う」のなら、「一生かかっても満足できない」ことを覚悟しなければならない。
社会制度としてはすべての人に無限の選択肢が与えられているが、人生の時間にも個人の能力にも限りがあるのだから、実際の選択肢は有限だ。
自分で選択肢を絞らなければならない。

「万のうちの一つ」を探しあぐねてさ迷っている人よりも、「五つから一つ」を選んで充足している人のほうが幸せではないだろうか。
真面目にひたむきに生きていれば、チャンスは向こうからやってくる。それくらいの潔さがほしい。

(文・たかたまさひろ)
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2011年09月20日

好きな道を選ぼう

「恋人のことをそれほど好きではないが、強く求められたから、仕方なくつき合っている」という人よりも、「心から好きになった人に告白して、ふられてしまったが、その思いは今も胸に大切にしまっている」という人のほうが、愛に満たされていると言える。

「親に大学に行けと言われたから進学したが、大学生活がちっともおもしろくない」と愚痴をこぼしている人よりも、「どうしても大学で学びたいことがあったから、学費は自分で工面するという条件で、親の反対を押し切って進学した」という人のほうが、実りある人生を送ることができる。

何ごとも、「好きこのんでやっているわけではない。人に言われたからそうしているだけだ」ということにしたほうが、表面的には楽なように思える。失敗しても責任をとらなくてよいし、傷つかなくてすむ。
「頼まれて仕方なくやっているんだから、ガタガタ文句を言うな」と、自分のわがままを通しやすいようにも思える。

だが、「好きでやっているわけではないこと」をいくら積み重ねても、残るものは虚しさ以外に何もない。
十の「仕方なくやっていること」にわずらわされるよりも、たった一つの「どうしてもやりたいこと」に情熱を捧げるほうが幸せだ。

いや実は、「人に言われたから仕方なくやっている」ということなど、ありはしない。「嫌われたくないから」「庇護を受けたいから」「ほかに楽しいこともないから」という消極的な理由で、やはり自ら選んでいるのだ。
どうせ選ぶなら、積極的に、自分の好きな道を選ぼうじゃないか。
好きな道を突き進んでいる人は、たとえ挫折しても、けっして後悔しない。不自由でも不平を言わない。
自分で選んだのだから、言い訳ができない。だからこそ、自分の人生を生きているというたしかな手応えを感じられるのだ。

(文・たかたまさひろ)
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2011年09月06日

心の問題は後回し

何もかも嫌になって、投げだしてしまいたくなるときがある。
激しい怒りにかられて、世の中すべてを呪いたくなるときもある。
そんな心の弱さ、みにくさが情けなく思えて、自分が嫌になる。
悩めば悩むほど堂々巡り。気分は落ち込むばかり。
そんなとき、もっともよい解決法は、「何も考えず、深呼吸をすること」かもしれない。

何でも「心の問題」だととらえることはない。
身体の調子を整えれば、心もすっきり晴れることもあるのだ。
家の中でもんもんと悩むよりも、ジョギングでもして汗をかこう。
難解な哲学書を読みふけるよりも、散歩に出かけて、見晴らしのいい公園で新鮮な空気をたっぷり吸い込もう。
焦りや苛立ちがおさまらないときは、目を閉じ、背筋をしゃきっと伸ばして、ゆっくり腹式呼吸をしよう。

規則正しい生活をし、栄養のある食事をとり、適度な運動をし、睡眠を十分にとること。
それらは、生きていく上でもっとも重要な基本事項だ。
「忙しくて、そんな余裕はない」というなら、優先順位を間違っている。健康を犠牲にしてまでえるべき価値のあるものなどない。

身体の具合が悪ければ、気分もさえないのは当然だ。
「心の問題」は、身体の調子を整えた後で、最後の最後に考えればよいことだ。

(文・たかたまさひろ)
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