会社を整理解雇された中年サラリーマンが嘆く。
「長年、会社のためにつくしてきたのに、恩を仇で返されたような気分だ」
だがそれは、まるで一方的に貸しをつくったような言い方だ。
「長年、会社に雇われ、給料をもらってきた」のだから、それでチャラである。貸し借りなどない。
解雇が不当なものであるなら法的手段で訴えるべきだが、恩知らずだの何だのという感情論は別問題だ。
「恋人のわがままを許してやったのに」
「友人の頼みをきいてやったのに」
「家族のために働いてきたのに」
借りよりも貸しのほうが多い、と思うことは不幸である。
他人の不義理を責めてばかりいる人は、きっと自分も他人から恩知らずだと思われている。何しろ「自分が他人にしてやったこと」しか頭にないのだから。
まったく自分のためにならないことをやる人はいない。
「他人のためにしてやったこと」も、結局は自分のためなのだ。「見返りが少ない」と腹を立てていることが何よりの証拠である。
「恩を仇で返された」のではなく、「恩を売りつけようとする態度がうとまれ、愛想をつかされた」だけなのかもしれない。
恩義は相手が感じるもの。
押しつけなければ感じてもらえない恩義など、たいしたことはないのだ。
借りばかりつくって申し訳ない、他人や社会にもっと恩返ししなければ、と思いながら生きるほうがはるかに幸せである。