2011年09月17日

要求する人は裏切られる

友人が仕事で困っていたので、役に立てる人を紹介したとする。
その友人は、おかげで見事成功をおさめた。
当然、礼の一言ぐらいあるものだと思っていたら、その後まったく音沙汰なし。
裏切られたような気になる。

恋人が、「あなただけを一生愛し続けます」と言ってくれたとする。
しかし数年後、手の裏を返して「ほかに好きな人ができたから別れてほしい」と言われる。
一生愛すると言ったくせに嘘だったのか、と裏切られたような気になる。

しかし、そもそも「助けてやったのだから感謝しろ」「一生愛すると言った約束を守れ」と相手に求める気持ちがなければ、裏切られることもなかったのだ。
もちろん相手の態度は不誠実で、責められるべきものだが、それはあくまで相手の問題だ。そういう不誠実な人は、いつか手痛いしっぺ返しを食うだろう。
ただ単に「気の毒な人」と思えばよいのである。

「裏切られた」というのは、「自分が望んでいたとおりの利得をえられなかった」ということだ。
自分の主観、自分の都合、自分の欲求にもとづいて注文をつけていただけである。

裏切られることの多い人は、要求の多い人である。
「私に利益をもたらしなさい」と他人に強要する権利は誰にもない。
「人助けになったのだから、それでいい」「いままで愛してくれただけでも、もったいないくらいだ」という謙虚さがあれば、他人の不誠実な態度に対して、「悲しい」「寂しい」と思うことはあっても、「裏切られた」という屈辱は感じずにすんだのだ。

裏切られることの多い人は、要求の多い人である。
他人に何かをしてもらうことを当たり前だと思わなければ、けっして裏切られることはない。

(文・たかたまさひろ)
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