2011年06月07日

痛みや悲しみを癒すもの

幼い子供がケガをすると、母親が患部に手を当て、「痛いの痛いの、とんでけ」と言う。
子供は、自分の痛みを理解してもらったこと、自分を守ってくれる人がいるという安心感をえたことで、気分が和らぐ。
昔から伝承されてきた、痛みを忘れるおまじないのひとつである。

もっといい方法があるということを知人から聞いた。
これは、その人がずっと以前に田舎町で実際に見た光景だそうである。
子供が公園で走り回っていて、木にぶつかり転んだ。子供は痛いと泣きさけんだ。
祖母らしき婦人がやってきて、子供を抱き起こした。
おばあさんは、孫をあやすのかと思いきや、木のほうをさすって「お前も痛かったろう」と言った。
子供は、ポカンとしていたが、やがてすっかり泣きやんで、おばあさんと一緒に木を優しくなではじめた。

ぶつかった子供も痛いだろうが、ぶつかられた木のほうも痛い。
木にも石にも土にも、あらゆるものには生命がある。
ぶつかるということは、必ず相手がいるということである。
痛いのは自分だけではない。相手の痛みを気遣うことで、自分の痛みはたいしたことないと思えるようになる。
おばあさんは、きっとそう教えたかったのだろう。

「癒し」という言葉がもてはやされて久しい。
痛みや悲しみで傷ついた心を癒すことは大切だ。
しかし、「こんなに傷ついた自分を癒してほしい」というだけでは、やや子供じみている。「痛いのとんでけ」と同じ程度だ。
「自分の痛みを分かってほしい」と思うのと同じくらいに、他人の痛みを分かろうと努めること。
傷ついているのは自分だけではないということを理解すること。
「癒し」を超えた「哀れみ」「慈しみ」によって、心は豊かに成熟するのではないだろうか。

(文・たかたまさひろ)
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