2010年09月29日

正直者は馬鹿をみない

違法なことをして儲けている人間がいる。
平気で人をあざむき、傷つけ、裏切ることに痛痒を感じない人間がいる。
正直者が馬鹿をみる世の中なのだろうか。

悪いことをして利益を得、人を足蹴にし、のうのうと生きている者たちに、なぜ天は罰を与えないのか。
その理由は、「彼らはまったく得をしていないから」である。

悪事を働いて金銭的な利益を得ても、警察に捕まれば人生を棒に振ることになるのは言うまでもないが、たとえ逃げおおせたとしても、彼らはちっとも幸せではないのだ。
幸せとは、そんな表面的、形式的なもので測ることはできない。

幸せな人とは、「自分は存在する価値がある」「この世に生まれてきてよかった」と心から思える人である。
悪いことをして儲けたとしても、彼らはけっしてそんな自分に誇りをもつことはできない。
彼らは誰からも愛されない。
彼らはけっして自分を好きにはなれない。
誰に罰せられずとも、すでに自らに「むなしさ」という厳しい罰を与えている。

彼らはきっと、意識的にしろ無意識的にしろ、自らを恥じ、「自分はいったい何のために生まれてきたのだろう」というむなしさを抱えて生きていることだろう。これほど大きな不幸はない。
すでにもっとも重い罰を与えられているのだから、天はそれ以上彼らを罰しないのだ。

正直者が馬鹿をみることはない。
正直に、誠実に生きている人は、他人に裏切られて何かを失ったとしても、それは表面的な損得にすぎない。
心の一番大切な部分は、けっして奪われない。
誰に恥じることもなく、堂々と胸を張って生きていけること。それを犠牲にしてまで得るべき利益などないのだ。

(文・たかたまさひろ)
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