2010年03月28日

分かっているのに

他人の成功を素直に祝福できない。
自分が幸せであるなら、他人の幸せもよろこんであげられるはずなのに。

自分を傷つけた人を許せない。
人を恨んでも、心がすさむばかりで、何の益もないことは分かっているのに。

「頭では分かっているのに、できない」ということがある。
しかし、それは本当にできないことなのだろうか。
自分の判断で「やらない」だけなのではないだろうか。

特殊な能力を要求されること、たとえば、
「百メートルを十秒台で走る」
「歌手になって、レコード大賞をとる」
などは、どんなにがんばったって、到底できるわけがない。

しかし、「人の幸せをよろこぶ」「人の過ちを許す」というのは、そういうたぐいのものとは違って、現実的に不可能なことではない。
本気でやろうと思えば、できることである。
「できない」のではなく、「やらない」のだ。

まず、「頭では分かっているのに」などと、思考と感情が分離しているような言い訳をするのをやめよう。
本当に分かっているなら、やっているはずである。
やらないのは、つまり、「分かっていない」ということなのだ。

妬みたいから、妬んでいるのだ。
怒りたいから、怒っているのだ。
自分の心に潜むみにくさを認めることからはじめなければならない。

自分が努力するよりも、他人をこきおろしたほうが、姑息な優越感がえられる。
自分で楽なほう、得だと思うほうを選んでいる。それが自分の価値観ということである。
「自分で選んでいる」という自覚をもってはじめて、ほかの選択もできるようになる。

自分が心の底から「他人の幸せを祝福したほうが、自分にとっても幸せなことだ」と思えば、できる。
本気で「他人の過ちを許したほうが、自分の心も安らかになれる」と思えば、できる。
今は分かっていないが、きっと分かるときがくる。
未熟な自分を受け入れつつ、少しでも理想に近づけるよう努力していけばいいのだ。

(文・たかたまさひろ)
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