2012年05月28日

自分を許す

他人に対する怒りや恨みをいつまでも引きずるのは、とりもなおさず、「相手との関係を断ち切れない」ということである。
憎い憎いと言いながら、自らすすんでそんな相手とのつながりをたもち続けているのである。

なぜ怒りを忘れられないのか。他人を批判しているかぎり、自分と向き合うことから逃れられるからである。
「私が毎日イライラして、自分を好きになれないのは、あいつのせいだ」と、不幸の原因を何もかも他人のせいにできるからである。

人を許すことは難しい。
人を許せば、自分を傷つけた相手の行為を認め、自分がすごすごと引き下がったことになってしまう。それでは気持ちがおさまらない。
だが、恨み続けることは、他人に傷つけられたこと以上に、自分で自分を傷つけることになるのだ。

他人を許すのではなく、自分を許そう。
他人と勝負するのではなく、自分に打ち勝とう。

他人に仕返しをしても、何の得にもならない。
しかし、他人を許し、心のとらわれから解放され、毎日を明るく楽しく過ごすことは、自分にとって大きな利益である。
いい意味で「自分さえよければいい」と開き直ろう。
「他人とどう付き合うか」よりも大事なことは、「自分とどう付き合うか」ということだ。
自分と向き合い、自分の幸せを第一に考えよう。

(文・たかたまさひろ)
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2012年05月18日

いつも自慢話をする人への対処

「私はどこどこの大学を出た」
「家族や親戚が大手企業に勤めている」
「有名人の友達がいる」
自慢話の好きな人は、どこの社会にもいるものである。
会うたびに自慢をされるのがわずらわしい。だが、それがどうしたという顔をすれば、嫉妬しているみたいで、これまたしゃくに障る……。
そういうやっかいな相手には、どう対処すればいいのだろうか。

自慢ばかりする人は、本当は「バカにされたくない」という不安の人一倍強い人である。他人と張り合って、つねに自分の優位を確認しておかなければ気がすまないのである。
自慢をするには、「張り合いがいのある相手」を選ばなくてはならない。自慢話に悔しがってくれる人は絶好のターゲットである。
相手が悔しそうな表情を浮かべてくれてこそ、自慢のしがいもあるというものである。

他人に自慢話をされたくなければ、「自慢のしがいのない人」になればよい。
自分と他人を比較せず、自分なりの楽しみや生きる目的を見つける。他人の長所を素直に認め、自分の値打ちも認められる。
そういう考え方に従っていれば、他人の自慢話など気にならなくなるはずである。気にしないといっても、あえて無視するのではなく、「あなたはすばらしい。でも私は私で、幸せに生きていますよ」と、余裕をもって相手を受け入れるということである。

「自慢話をされて悔しい」。そう思ったなら、自分も他人に対抗し、優位に立ちたいという願望の強い証拠である。根っこの部分では自慢好きな人と同じなのである。
くだらない競争の舞台からはさっさと降りてしまうにかぎる。
自慢話に悔しがってくれない相手には、自慢をしてもつまらない。
自分が張り合おうとしなければ、自慢好きな人は自然に離れていくだろう。

(文・たかたまさひろ)
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2012年05月10日

傷つけられても

平気で無神経なことを言う人。
自己の利益のために他人を利用する人。
他人を見くだすような態度をとる人。

どこにでも、憎たらしい人というのはいるものである。
そういう人に傷つけられたからといって、「仕返しをして、思い知らせてやりたい」などとは考えないほうがよい。

他人に嫌われる性格の人は、「嫌われている」ということ自体が大きな不幸である。
他人の痛みが分からない人は、「他人の痛みが分からない」ということ自体が大きな不幸である。

「自分を傷つけた相手に思い知らせてやらなければ気がすまない」と考えるのは、「相手のほうが得をしている」と思い込んでいるからである。
平気で他人を傷つける人も心が貧しいが、「傷つけたほうが得をしている」と考えるのもあまりにも浅はかだ。

相手は十分不幸なのだから、これ以上思い知らせてやる必要はない。
自分で自分の顔を殴っている人を見て、さらに殴ってやりたいとは思わないはずである。

下手に仕返しをして、逆恨みをされてはかなわない。
自分自身を苦しめている人は、その愚かさに気づくまで、ほうっておいてやればいいのだ。

(文・たかたまさひろ)
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2012年05月04日

何を隠そうとしているのか

他人に対する怒りとは、ほとんどの場合、「自分が認めたくない感情」を隠そうとする働きである。
恥。嫉妬。罪悪感。敗北感。自己嫌悪。
自分を好きな人、自分の人生を楽しんでいる人は、他人の言動にいちいち目くじらを立てたりしない。

怒りを感じたときは、自分に正直にこう問いかけてみよう。
「私は、いったい何を隠そうとしているのか」
自分では弱みを隠しているつもりでも、他人にはきっと見破られているに違いない。他人をあまり見くびらないほうがよい。

自分の中のみにくい感情に対する扱い方は、二通りしかない。
「はっきりと認めて、向き合う」か、「ごまかそうとして、陰で笑い者にされる」かのどちらかだ。隠し通すことなどできない。

自分の弱さを認めることは、恥ずかしいことではない。弱さを認めまいとして強がることのほうが、何倍も恥ずかしいことだ。

(文・たかたまさひろ)
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