2011年03月31日

敵か味方か

子どものころにどういう大人に囲まれていたかで、他人に対する見方がほぼ決まってしまう。
責められ、見くだされ続けて育った子どもは、「他人は皆、隙あらば自分を攻撃しようと狙っているに違いない」と思い込んでしまいがちだ。
そしてついには、「私は他人に許してもらえなかったのだから、私も他人を許さない」という乱暴で悲しい結論にたどりつく。

しかし、自分が大人になったら、その誤った考えは修正しなければならない。
「子どものころは、世界がせまかった」という事実に気づくべきだ。

誰でも、本当はみんなと仲良くしたいと思っているに決まっている。
人は本来、友好的だ。その裏返しで、仲良くしたいのにできないというもどかしさから攻撃的になってしまう人も中にはいる、というだけのことだ。

「他人はすべて敵。例外的に仲良くしてくれる人もいる」と見るか。
「他人はすべて味方。まれに対立することもある」と見るか。
どちらの見方をするかで、世界はまるきり違って見える。

(文・たかたまさひろ)
このページの上へ
2011年03月24日

批判されたくない

他人から批判されたくない。
かといって、相手にされなければされないで、またそれを嘆くことになるだろう。
批判されたくない。無視もされたくない。
つまり、「他人はみんな、自分を褒めてほしい」ということだ。
そんな虫のいい話はありえない。
ないものを欲するから苦しいのだ。

(文・たかたまさひろ)
このページの上へ
2011年03月18日

自由に生きよう

自由とは、何でも思い通りになることではない。そんなことは絶対に不可能だ。

「思い通りになったら満足」「願いがかなったら幸せ」という執着心を捨てること。
思い通りにならなくても、自分を肯定できること。
そうしてはじめて、何ものにも縛られず、自由になれる。心は救われる。

(文・たかたまさひろ)
このページの上へ
2011年03月10日

根拠のない過信

薬物中毒から立ち直り、現在は中毒患者を更生させる施設の職員となっている男性が、テレビで語っていた。
薬物中毒患者のほとんどは、はじめは「自分は、やめようと思えばいつでもやめられる」と思って手を出すのだそうだ。
「中毒になるような人は意志が弱いのだ。自分はそれほど間抜けではない」と、好奇心から軽い気持ちで始めてしまう。
しかし、本当に意志が強ければ、そんな誘惑には負けないはずだ。
薬物に手を出していることが、どうしようもなく意志が弱いことの証しなのに、その自覚がなく、「自分だけは大丈夫」と根拠のない過信を抱いてしまっている。それがそもそもの過ちなのだ、と。

真に強い人、能力のある人は、「自分は何でもできる。絶対に失敗しない」などとは思っていない。
自分の弱さ、未熟さをわきまえ、用心しているから、失敗することが少ないのだ。

(文・たかたまさひろ)
このページの上へ
2011年03月06日

バカにされても

他人にバカにされても腹が立たない方法がある。
はじめからバカなふりをしていればいい。

ことさらに卑下したりおどけたりする必要はない。
無理して賢く見せようとしなけりゃいいだけのことだ。
バカなふりをしていれば、偉ぶっている人のほうがかえって愚かしく見えるだろう。
バカなのはみんなお互いさまなんだから、自分の愚かさを知っている人のほうがまだしも賢いというもんだ。

人をおとしめようとする人間は、どこにでも存在する。
そういう手合いに対して、「私はもっと賢いんだぞ」と抗しても、まったく逆効果だ。
向こうは、「化けの皮をはいでやるぞ」とばかりに、ますますやっきになって人のあら探しを始めるだろう。
バカにされるかされないかが問題なんじゃない。
どちらが偉いかを競い合うこと自体があさはかなんだ。

背伸びをしてつま先立ちしていると、軽く押されただけで倒れてしまう。
腰を落としてどっしり構えていれば、少し押されたぐらいではびくともしないものなんだ。

(文・たかたまさひろ)
このページの上へ
2011年03月02日

報われないこともあるからこそ

信じていた人に裏切られることもある。
それでも、信じる心は美しい。

正義が悪に敗れることもある。
だからこそ、正義を貫く勇気は気高い。

人のために尽くしても、恩を仇で返されることもある。
自分のためではなく、人のためなのだから。

幸せは、損得勘定では計れない。
そろばんずくの人生に何の値打ちがあるだろう。
損をしてでも、胸を張って生きる人間になりたい。

(文・たかたまさひろ)
このページの上へ