2010年12月27日

まず、やめるべきこと

どうすれば人に愛されるか、明確な方法はない。
しかし、「なぜ私を愛してくれないのか」と人を責めたり、「もっと私への愛情を示しなさい」と要求したりする人は、けっして誰からも愛されない、ということだけははっきりしている。

幸せになるために何をすればよいかを答えるのは難しい。
しかし、人の幸せをねたんだり、人の不幸を願ったりする人は、絶対に不幸から抜け出せない、ということだけは分かりきっている。

愛されたい、幸せになりたい、と思ったとき、「何をすべきか」が分からなくても、「何をやめるべきか」ということは明らかだ。
横着をして簡便で姑息な手段で愛情や幸せを手に入れようとしても、けっしてえられないどころか、ますます遠ざけてしまう結果となる。
何をすればいいかが分からなければ、とりあえず「やめるべきこと」を確実にやめるよう努力しよう。

やめるべきことをやめて、そんな自分を好きになれたら、幸せは、ふと心の奥からわき上がってくるものだ。
幸せな人のまわりには、おのずと人が集まってくる。
愛情も幸せも、肩ひじ張らずに、自然に生まれるのを待つのが、一番の近道なのだ。

(文・たかたまさひろ)
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2010年12月23日

嫌われまいとすれば、よけいに嫌われる

人に嫌われたくないと思うのは、自然な感情だ。
しかし、ややこしいことに、嫌われまいとすればするほど嫌われてしまうというのも事実だ。
泳げない人が、水の中でむやみに手足をばたつかせて体力を消耗し、おぼれてしまうのと同じだ。

「人に嫌われたくない」
そこには、自分の都合しかない。他人への思いやりも、他人の幸せを願う気持ちもない。
「自分さえよければいい」ということだ。
自分のことしか考えていない人間が、好かれるわけがない。
嫌われたくない、嫌われたくないと思っているうちは、けっして幸せにはなれないのだ。

人それぞれ、好みも価値観も違う。
自分が好かれるか嫌われるかは、他人が決めること。
あれこれ悩んでも仕方がないのだから、なりゆきにまかせよう。
そう腹をくくったほうが、他人に好かれる確率は格段に高まる。心に余裕が生まれ、相手の立場をおもんぱかることができるからだ。

嫌われたくないという感情にとらわれたときは、こう考えればよい。
「自分のことばかり考えているから、嫌われるのだ」と。

(文・たかたまさひろ)
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2010年12月18日

ささいなこと、大事なこと

――「いいことなんか何もない」と、心に寒風が吹き抜けたときは、日ごろ見落としがちな小さなことに目を向けよう。

道ばたに泥まみれで咲く花。
ひたむきにえさを運ぶアリ。
枯葉が命をまっとうして落ちる瞬間。

一輪の花、一匹の虫が、その生命を全力で燃焼させている。この世に誕生した奇跡に報いるように。
何のために生きるのか、理由などいらない。生きること自体が意味なのだ。生命の躍動そのものが美しい。

――「嫌なことばかりだ」と気がふさいだときは、それがどうしたと笑い飛ばしてみよう。

職を失っても、飢え死にするわけではない。今の生活レベルが維持できなくなるだけのことだ。収入が下がったなら、それに見合った暮らしをすればよい。
好きな人に嫌われても、自分の全人格を否定されたわけではない。たまたま相手の好みに合わなかっただけ。

命のほかに、「これがなければ、生きていけない」というほど重大なものは存在しない。
贅沢に慣れきった大富豪、世間の賞賛を浴び続ける大スターから見れば、いまの自分の生活も「生きていけない」レベルだろう。
生きていけないのではない。ちっぽけな見栄を捨てられず、変化に対応できないというだけなのだ。

見方を逆転させてみよう。
――ささいなことが、大事なこと。
身の回りに、涙が出るような感動やよろこびは、いくらでも転がっている。
――大事なことが、ささいなこと。
生きるの死ぬのと大騒ぎするほど大変なことなんか、何ひとつない。

(文・たかたまさひろ)
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2010年12月12日

ジーンズの誕生

19世紀後半、アメリカ・カリフォルニア。
この地で砂金が発見されたというニュースが全世界に広まり、一攫千金を夢見て多くの人が殺到した。ゴールド・ラッシュである。
ごく一部の者は莫大な富を得たが、大多数の努力は無駄に終わった。

その男だけは、目のつけどころが違っていた。金鉱を掘り当てるなどという奇跡をあてにせず、「金を掘る人たちのために、丈夫なズボンを売ったら、確実に儲かるのではないか」と考えたのだ。
馬車の幌やテントに使われていた生地を加工し、ポケットを金属のリベットで補強した「ジーンズ」は、売れに売れた。
男の名は、リーバイスの創業者、リーバイ・ストラウスである。

われもわれもとみなが同じ方を向いているときに、その群れから離れて、違う角度からものごとを見てみる余裕と勇気が大切だ。
神経をすり減らして他人と競い合い、たとえその争いに勝ったとしても、しょせんはお山の大将にすぎない。
他人と利益を奪い合うのではなく、新たな価値を創造した者が、真の勝者となる。

(文・たかたまさひろ)
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2010年12月07日

良識ある人々のおかげで

電車に乗ろうとすると、並んでいる列に横から割り込んでくる人がいる。
電車の中では、携帯電話で大声で話している人がいる。
ヘッドホンで音楽を聴いている人からは、シャカシャカと音が漏れて聞こえる。
他人をいら立たせ、白い目で見られても平然としていられる人の神経が理解できない。

しかし、だからといって、モラルは死んだ、世も末だ、などと騒ぎ立てることはない。
世の中の99%は、良識ある人たちなのだ。
ほとんどの人は、ルールとマナーを守り、人に迷惑をかけないよう気を遣ってくれている。

「クタクタに疲れて、電車にいち早く乗って座りたいのに、人を追い抜かずにちゃんと並んでいる」という人や「大事な顧客に連絡をとらなければならないのに、電車の中だから携帯電話を使わない」という人もたくさんいるに違いない。
それらは当たり前のことだから、あえて意識されないだけなのだ。

一部の傍若無人が目につくのは、それが珍しいからだ。
テロや殺人が頻発している国に行けば、電車内での迷惑行為など、子どものいたずらのようにかわいいものだろう。

1%の迷惑よりも、99%の良識に目を向けたい。
善意と良心にあふれる多くのみなさん、迷惑をかけないよう気を遣ってくれて、ありがとう。
あなたたちのおかげで、今日も気分よく過ごせました。私も気をつけます。

(文・たかたまさひろ)
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2010年12月04日

自分のために生きる

せっかく人のために何かをしてあげても、まったく感謝を示してもらえないことがある。
そこで腹を立てて、「善意が無になった」などと嘆いてはいけない。

人のために何かをするのは、自分の精神を高めるために行うことだ。
少し乱暴に言ってしまえば、「自分がよければそれでいい」のだ。

自分のために生きるのは、悪いことではない。
もっともよくないのは、自分のためでありながら、それを「人のため」などというきれい事で飾り、「こんなに人のために尽くしているのに、まったく報われない」という不満をため込むことだ。

感謝してもらわなければ報われない善意など、本当の善意ではない。
感謝してもらえず落ち込んだときは、自分にこう言い聞かせよう。
「お前は、見返りがなければ親切ひとつできないのか」

「人のために何かを行うこと」そのものが心を豊かにし、自分の利益となるのだ。
相手に感謝されなくても、「おかげで功徳をつむことができました」とこちらが感謝すればよい。

行動は他人のため。
精神は自分のため。
それがもっとも理想的だ。

(文・たかたまさひろ)
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