2010年08月28日

これまでが恵まれていた

明日、仕事を失ったとしても、これまでその仕事で収入を得られたことが幸運だった。
明日、不治の病にかかったとしても、これまで生きてこられたことが幸せだった。

大切なものを失ったとしても、それはけっして不幸ではない。
もともと得られなかった人もいるのだ。
いっとき得られただけでも幸せだった。

明日、大切なものを失うとしたら。それでも後悔しないと思えるほど、今を大事に生きているか。
日々、その覚悟をもって、「今あるもの」に感謝していれば、きっと濃密で充実した人生を送ることができるだろう。

(文・たかたまさひろ)
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2010年08月23日

ここは外国だ

人の無神経な言動に腹が立ったとき。
人に理解してもらえず落ち込んだとき。
人前で緊張して話せなくなったとき。

応急的な対処法として、「ここは外国だ」と仮定してみればよい。

日本とは文化も風習もまったく違う国に、自分はひとり移住してきている。
まわりの人とは考え方が違っていても当然だ。理解し合えなくても当然だ。
自分が勝手によその国にやってきているのだから、「これは変だ」「こうすべきだ」などと自分の考えを押しつけるのはおかしい。

ここは外国で、自分以外はみな外国人だ。
ひとまずそう思うことで、心は安まる。
「自分がどう思われているか」がたいして気にならなくなる。
他人とのささいな感情のすれ違いなど、どうでもよくなる。

もちろん、理解し合えないままでよいということはない。できるかぎり理解し合えるよう努めることは大切である。
しかし、「自分の気持ちを分かってくれるのが当然だ」と思ってはいけない。
自分を分かってもらえなくても、相手が自分の思い通りにならなくても、いら立ったり、やけになったりしてはいけない。
自分の常識と他人の常識は違うのだ。

気持ちが通じ合わなくても、それが当たり前。
そこからスタートして、ひとつでも理解し合えるよう努力していけばいい。

(文・たかたまさひろ)
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2010年08月17日

人から認められる人間

「人から認められるにはどうすればよいか」をいくら考えても、幸せにはなれない。
たとえ自分を認めてくれる人が現れたとしても、今度は幻滅されることをおそれて、ビクビクと相手の機嫌をうかがうようになるだろう。
「人に認められるかどうかで、自分の値打ちが決まる」という考え方そのものが間違っているのである。

自分で自分を尊重しさえすれば、それでいい。
それは単なる自己満足やうぬぼれではない。
自分で自分を認めていないのに、他人に認めてほしいと要求するのはわがままである。

まず、自分で自分を認めよう。
自分の値打ちは自分で決めよう。
人から認められるのは、うれしいことには違いないが、それはただの「おまけ」にすぎない。
自分の人生を楽しんでいる人のまわりには、自然と人が集まってくるものだ。

人からの評価に怯えるよりも、誰かと一緒に人生を楽しみたい。
「私を敬いなさい」と求めるよりも、「あの人がいないと寂しい」と思われる人間になりたい。

(文・たかたまさひろ)
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2010年08月10日

重大だが深刻ではない

何か一つのことに情熱を傾けることはすばらしい。
しかし、それが人生のすべてではない。
「それを失えば、人生は終わりだ」というほど重大なものは何もない。

誰かに愛されることは、大きなよろこびだ。
しかし、その人に愛されなかったからといって、自分の値打ちが下がるわけではない。

趣味や仕事に打ち込めば、生きがいを感じるだろう。
しかし、それができない状況となっても、絶望することはない。

人生は一つだが、たった一つのことで人生が決まるわけではない。
一つの幸せを失ったなら、ほかの幸せを探せばよい。
「逃げ道を用意する」のではなく、「自分を無条件に受け入れる」ということだ。

「○○さえ手に入れれば幸せ」という条件つきの幸せは、本物ではない。
「どんな境遇にあっても、自分の価値は変わらない」というしっかりした土台があってこそ、その上を目指すことに意味があるのだ。

何かを手に入れるために懸命に努力することと、たとえ得られなくてもかまわないとあきらめること。
この二つは同じくらいに重要だ。
幸せの形は一つではない。

(文・たかたまさひろ)
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2010年08月03日

自分が変わればよい

他人を変えようとすることは、自分が変わる場合の十倍もエネルギーを要する。
他人に変わることを求めるよりも、さっさと自分が変わったほうが、楽だし早いのだ。

節操もなく他人に合わせるということではない。
「自分の幸・不幸はみずからの意思で決める」という固い信念を貫いているのだから。

(文・たかたまさひろ)
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