2010年07月31日

不幸とは視野がせまいこと

「私だけが損をしている」
「私だけが不当な扱いを受けている」
などと文句を言うのは、自分の想像力の貧しさを露呈することになる。

自分の職場。自分の近所。自分の親戚。
そんなせまい範囲だけで、誰が得をしている、誰が損をしているなどを騒ぎ立てるのは愚かだ。

世の中、上を見ればきりがないし、下を見てもきりがない。
自分が他人にたいして「もっと気を遣ってほしい」と願うのと同じくらいに、自分は、自分よりも恵まれない立場の人々をかえりみているだろうか。

自分だけが不幸だと嘆くときは、半径10メートルの内側でしかものを見ていない。
視野を広くもてば、ささいな損得などどうでもよくなるものだ。

(文・たかたまさひろ)
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2010年07月25日

他人が悪い?

あの人に嫌なことを言われた。
この人はなんて無神経なんだ。
こんないい加減なやつがいる。
世の中、嫌なやつだらけだ。だから自分はいつもイライラさせられるんだ。

――いや、違う。
イライラしているから、他人のあらがいちいち気になるのだ。

あれこれ他人を批判しておきながら、心のどこかで「自分が不幸なのは、他人のせいだ」ということを確認して安心している。
「次はどんな嫌なやつが現れるだろう」と期待している自分がいる。
自分が幸せを感じられない原因を他人のせいにして、自分の心をごまかし、自分と向き合うことから逃げているのだ。
他人を責めてばかりいるから、幸せを感じられない。幸せを感じられないから、イライラして、他人を責めてしまう。自分が掘った蟻地獄に足をとられてしまっている。

何かひとつの目標に向かってわき目もふらずまい進しているとき、他人の不親切をとがめるひまなどない。
どうすれば人の役に立てるか、どうすれば人を幸せにできるかを考えているとき、「他人が私の幸せの邪魔をする」などという不満は生まれない。

他人のせいで不幸になるのではない。
不幸だから、他人に腹が立つのだ。

自分が幸せなら、同じことを言われ、同じことをさても、気にならない。
自分を幸せにする責任は自分にある。
その責任を転嫁してはならないのだ。

(文・たかたまさひろ)
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2010年07月21日

弱みを隠す必要はない

「自分の弱みを知られれば、人に嫌われるのではないか」という不安を抱くのは、他人を軽蔑しているからである。

他人に弱みを見せないというのは、他人と距離を置くのと同じことだ。
自分から距離を置いておいて、人が離れていくと文句を言ってもはじまらない。

安心して弱みを見せられる関係が、本当に信頼しあえる関係なのだ。

(文・たかたまさひろ)
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2010年07月16日

本音と建前

他人との付き合いにおいて、本音と建前、どちらを優先させるべきか。
本音で自分をつらぬけば反感をかいやすい。
建前で体裁をつくろえばうっ憤がたまる。
悩ましいところである。

自分を偽り、他人をあざむくための嘘はよくない。
しかし、ただ正直であればよいというわけでもない。
人を傷つける正直さもあるし、人を気遣うがゆえの嘘もある。
大切なことは、本音か建前かではなく、どれだけ他人を思いやれるかということだ。

ズバリ本音を言わなければならないときは、なるべく相手を立てるような言い方を考えればよい。
本当のことでも、人を傷つけるだけならば、言わないほうがよいこともある。

「本音か建前か」で悩むのは、自分を守ることしか頭にないからである。
ひとつ確実に言えることは、「自分の利益しか考えていない人は嫌われる」ということだ。

言うか言わないかの問題ではなく、言い方の問題である。
「相手を思いやり、相手の立場になって考える」という自分の気持ちに正直でありさえすればよい。それがひいては自身を大切にすることにもなるのだ。

(文・たかたまさひろ)
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2010年07月11日

言い方の順序を変える

「精一杯努力したのに、報われなかった」
ではなく、
「報われなかったが、精一杯努力した」

「あんなに愛し合っていたのに、別れてしまった」
ではなく、
「別れてしまったが、あれほど愛し合える人と巡り会えた」

言い方の順序を変えるだけで、人生は変わる。

(文・たかたまさひろ)
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2010年07月07日

嫌なことがあったら

嫌なことがあったら、そのときだけ嫌な思いをすればよい。
何も後から思い出して、ムカムカを反すうすることはないんだ。

生きていれば、嫌なことは必ず起こる。それは避けられない。
しかし、一日のうちで考えれば、嫌なことの起こっている正味の時間は、百分の一くらいのものだろう。
憂鬱な気分を引きずってしまうのは、「ああ、悔しいなあ」「あんな奴は許せない」などと、心の中で嫌なことをよみがえらせてしまうからだ。

にごった水は、ほうっておけば汚れは沈殿して、いずれ澄んでくる。
わざわざかき回してにごらせてしまうことはない。
いったい不幸な人とは、「嫌なことばかりが起こっている」のではなく、「嫌なことばかり考えている」人のことなのだ。

「きのう嫌なことがあった」
それはもうすぎたことで、いま起こっているわけではない。
「あした嫌なことがあったらどうしよう」
それはまだ先の話で、どうなるか分からない。

嫌なことがあったら――。
その一瞬だけ、嫌な思いをすればよい。
いまは起こっていないのだから、気にすることはないんだ。

(文・たかたまさひろ)
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2010年07月04日

「嫌われているかも」という思い上がり

自分は嫌われているかもしれない。
そう気をもむのは、ある意味、思い上がりなんだ。

実は、嫌われるほど気にかけられていないかもしれない。
他人はいつも自分に注目し、自分の言動を細かく観察しているに違いない、といううぬぼれ。
他人はそんなに暇じゃないし、性悪でもないよ。

「どうせ私は嫌われている」と自分を卑下するとき、心のどこかに「なぜ私を認めてくれないんだ」と他人を責める気持ちがある。
「他人がもっと大らかな心で私を受け入れてくれたら、こんなに悩まなくてすむのに。なんて冷たい奴らなんだ」と。
自分の劣等感をごまかすために、他人を悪者にし、他人が変わることを求めている。
もし嫌われるとしたら、その身勝手さこそが嫌われるんだ。

不用意に他人を傷つけてしまったのなら、誠意をつくして謝らなければならない。
しかし、「嫌われたんじゃないか」ということまで気にしてはいけない。
「私を嫌わないで」というのは、相手への思いやりではなく、ただの自分かわいさ。
「自分がどれだけ自分が好きか」なんてことは、相手にとっては知ったこっちゃない。

人に気を遣いすぎて疲れるのは、「自分がどう思われているか」を気にかけているにすぎないから。
本当に相手のことを思っていれば、疲れることなんてない。
人に好かれることよりも大切なのは、人を尊重すること。
自分が相手を尊重しさえすれば、それでいい。

(文・たかたまさひろ)
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2010年07月01日

人の心は合わせ鏡

自分がわがままであるほど、人のわがままが許せない。
人をバカにしている人ほど、自分がバカにされることを恐れる。
よこしまな考えをもっている人ほど、疑り深い。

(文・たかたまさひろ)
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